豪雨災害に遭う

約一か月後、固定電話、ネットがやっと開通
ブログがアップ出来た。
7月6日の夜から倉敷市真備町は大変な水害に見舞われ、 その上、アルミ工場の水蒸気爆発が起こり、被害は追い打ちをかけた。
全国で起こる水害をTV等で何となく遠いことのように、また自分にとっては非日常の事として見ていたのだろうか?
友人知人の家が一夜にして泥水に埋もれ、そしてすべてを壊してしまった。

日本は自然災害が当たり前の国なのだと解っていても、なるべく考えたくない事として逃げていた。
天地自然の動きとしては本当に微々たる事なのに。
こんなにも甚大な事になってしまう。
これは要るもの、捨てるものなどの選択はない!!
当り一面捨てざるをえない災害ゴミの山が続く。

同じ倉敷市でも真備町と旧倉敷市内との景色はまるで天国と地獄図を見ているような感じに。 自然からは大いなる恵みを戴くが人間にとって都合の良い事ばかりではない。
「そんなこと!判っているよ」だが・・・・。

水没したこの土地に、我が家に残るのか?それとも・・・。
大人4人でやっと動かせる濡れた畳を運び出す日々。
人生の辛い選択がアチコチで行われている。
人の奥底にある力を信じたい。

ラベンダー

田植えの時も過ぎた。
夏至を越え、時は小暑に。

67年前、我が母は田植えの疲れか 早産で私を出産した。
母乳も出が悪く、産婆はあきらめて帰ったが、両親はあきらめきれず地元の医師を頼んだとか?
粉ミルクが高かったと話していた。

何代も続いた米作りはついに幕を閉じ
米蔵だけが残され、時の流れ移りゆくのを感じる。
百姓屋に生まれ、百姓生活と共に育った月日が頭の中を巡る寂しさはどうしようもない。

感情の留まりを「ラベンダーの香り」が癒してくれる時である。

「紫陽花」「半夏生」「山椒」

今年は6月21日が「夏至」。 紫陽花の季節が来た。花言葉は「辛抱強い愛情」「一家団欒」「家族の結びつき」。

梅雨、田植えとうっとうしい雨の日が続く頃なので「夏」の感あらず。 夏至から数えて24日の半分、11日目を「半夏生」という。 薬性は温、五味は辛。半夏厚朴湯、小青龍湯などに汎用される漢方生薬「半夏」が生える。

庭には山椒が青い実をつけている。 「花椒」は蜀椒とも言われているが日本の山椒とは少し香りが違が、健胃薬や鎮痛剤として用いる。 実山椒は保存の香辛料として我が家の大切な食材である。


6月は水無月だが五月晴れ(旧暦5月)には意外と多くの生き物は活発に、また植物は繁茂してくる。 命の水、あふれる時である。

虹始見

若葉の青が滴るがごとくの季節。春の天気が目まぐるしく変わり七十二候では 虹が見え始めると。 天の動きのように世の中も激しい。この中にいる人もついていくことは老若問わず大変である。
夏日だと思っていたら肌寒く、薪ストーブに火を入れることになる。

「山の上の小さな小さな漢方屋」として間もなく半年が過ぎようとしている。 来店者の無い時は家内とカメラ・スコップを持って庭をウロウロ。
自然は一時として歩みを止めず流れる事を感じている。
植物や動物の世界に生かして貰っていると不思議と周りに愛おしさを抱く。

今月末に町内長寿会に招かれてお話しするが、人生の先輩達に少しでもお役にたてるか、怪しいものである。 唯、「東洋人の知恵」の素晴らしさを少しでも伝えたいと思うのだが・・・。
月末は「霜止出苗」。百姓暮らしの小生にとっては良き季節は忙しい。

桃の節句

春一番は殊の外激しく日本中をお祓いするかのように吹き荒れた。 榎の下に植えた福寿草が何ともかわいらしい。 まだ桃は蕾。桃は魔除けとか。3月3日は五節句の一つである桃の節句(雛祭り)。 上巳の節句とも言うらしいが古来より3月最初の「巳」の日だった。 年齢に依らず女性の心を動かすものらしい。もちろん、我が家も・・・

中国思想五行説の影響か?「五」の数字は漢方を学ぶ者には関係深い。 「春」は「肝」との関係があり、人の心も体も「昇り」「漂う」季節である。 草木が芽生えように、陽気も昇り漂う。 「春は肝を病む」と古典「素問」にある。 臍下丹田に気を沈めて日々生きるのが良いのでは。

歳神様

年末に親戚と杵餅をついた。この年になるまで欠かした事のない年末行事。 物心ついた時、早朝より家の土間で石臼を3人の大人が囲み回し打ちをした様子を思い出す。 12月31日から1月1日への時の厚き壁は、新鮮さと神秘さえ感じたものだが・・・。

歳神様から一家一年分の感謝と幸せを鏡餅に。 この餅は、単なる「食」ではない世界が此処にあるようだ。 もう「全てのものに神宿る」という日本人の宗教観は遠いものなのか?

産土の神様に参拝したが、誰一人いないひっそりとした神社は、寂しさより神秘さを感じた。 この地に今年も住まわせて戴くお許しは届いたと思いたい。

鏡開きも終え、「とんど」も済んで1年の日々が始まる感じだ。さと神秘さえ感じたものだが・・・。

66歳の新たなスタート

紅葉も過ぎ、当り一面落ち葉だらけ。 寒空に舞う枯葉もまたきれいで見つめてしまう。

山の頂上にある一軒家に「新しき薬局」を開いて1ヵ月が過ぎた。 北風にも負けまいと自分の最期のステージを作った。
「誰がそんな山の上に行くのか?」こんな声を聴いても前に前に・・・。
長い間心に在った絵を描いた感じである。わがままを通すとはこの事か。
一時でもいいから「ああ、いい景色」と心を休めて貰いたいと思う。
忙しい毎日に少しでも・・・と。

気を巡らすことはとても大切な事だから。

やまのうえ薬局

44年間 真備町箭田にて薬局を営んできましたが、この度真備町上二万の205m反古(ほうぐ)山の山頂に移転開局しました。 北と西はコナラをはじめ大きな広葉樹囲まれ、東は岡山、倉敷の市街を望み、南は高梁川が瀬戸内海に注ぎこんでいます。四国さえ見える時があります。

「自然の力をもっと頂きたい!」

新年の装い

年々、正月というものの意識が薄くなるのは齢のためか?
年末、新年の装いはどうなっていくのだろう。
「また齢をとる」「ありがたきことに今年も無事新年が迎えられる」と心の在りようも様々。
餅つき、年越しそば、おせち、門のお飾り、神棚のしめ縄も暮れの墓参り、お宮参りも消えて行くのだろうか?
65回目の正月がだんだん薄くなり行く。
イヤイヤせめて少しでもと思いつつ、始めて孫と門松づくりに挑戦した。ささやかな抵抗。
丁酉(ひのとのとり)は五行説では干は「火」であり「心」であり「赤」。支は「酉」で成熟であふれる。何と激しい様だろう。
心して一年を送らねばと思いつつ今はいるのだが・・・。
穏やかな初日の出の陽光を拝しながら。

きのこ

世界の大都会東京、新宿の高層ビル、高級車の溢れる百貨店の駐車場、平日の昼前の行列レストラン。交差点を祭りの如く溢れる人並み。
日本は、格差が広がり、同じ国とは思えないような光景を目にする。1時間ほどで倉敷に帰る。
 
私の住んでいる里山には東京とは異なる山の幸、人に恵まれる。
畑には切干大根が所狭しと長い竹竿に干されている光景は、1時間程前とは別世界。
今年は雨が多く、暖かな日が続いたせいか「きのこ類」が多い。
「裏山の入り口にヒラタケを植えたのが大きくなっているよ。採って食べなよ!」と村人が知らせてくれた。
我が家の「しいたけ」も沢山できたので食卓は賑やか。
「ヒラタケ」「四季きのこ」と言われ年中あるようだが、晩秋頃できる「寒たけ」が季節ものとか・・・。
色々種類があるが、とてもおいしい。ブナやエノキに菌を植え付けて人工栽培できる。
しかし、よく似た「ツキヨタケ」は毒キノコ。ご用心あれ!